朝起きてテレビをつける、いつもの日常がそこにある。
 ただ、この間から違うのは、テレビの映す人の顔には、モザイクがかかっていることだけだった。
 歯を磨き、顔を洗う。 今日は病院に行く日だ。 午前中はつぶれるかも知れない。
 課長には、腹痛の検査結果を聞きに行くだけだと告げてある。
 背広の内ポケットに例のメガネを入れて準備完了、時刻を見ると、もうすぐ7時、少し早いが病院は混み合うので出かけることにする。

 今日も変わりなくモザイク顔―― コンビニのガラスで確認する。
 さすがに3日も経てば慣れてくる。
 昨日なんて逆にいいことがあった、人間の順応力とは大したものである。
 なるほど、あの医者が言っていた芸人の話も本当かもしれない。

 受付を済まし、長椅子に座っていると退屈で眠たくなってくる。
 危うく看護婦に名前を呼ばれても気づかないところだった。
 急いで診察室に向かう。
 そうだ、この間の医者の顔でも見てやろう。
 そう思った彼は、勧められた椅子に座るとメガネを掛けた。
 不思議そうな顔をする医者は、50代のオールバック、ひどい馬面だった。
「変わったメガネですね」
「ええ、画期的な発明品です」
「発明品? ご自分でつくったんですか?」
「いえ、インターネットで購入したんです。 14000円もしました」
「ところでモザイクのほうですが、今の状態は、どうなんです」
「はい、このメガネのおかげで何とかしのいでます」
「うむっ? ちゃっと貸してもらえますか」
 医者に渡すと舐めまわすように調べている。
「レンズが4枚重ねてますねぇ。 珍しい、変わったメガネだ。 なんなんです?」
 医者が尋ねてきたので彼は熱く、この世紀の発明品について説明をした。
「ほーっ、 それは凄い! これを掛けるとモザイクのところが消えて見えるということですか?」
 医者はメガネを返しながら尋ねた。
「そうなんですよ! まさに僕のために作られたようなものです!」
 嬉しそうに答える彼に医者は、微笑みながら話を続ける。
「大変素晴らしいものを見つけましたね。 でも本当の解決法は、そのメガネではありませんよ。 わかりますね?」
「はい」
「薬は、ちゃんと飲んでましたか?」
「飲んでました」
「飲んでも症状は治まらなかった。 そうですね?」
「はい」
「あなたは最近、何か大きな失敗をしたとかありませんか?」
「失敗ですか? う~ん」 考え込む。
「1週間前とか、2週間前までさかのぼってくれてもくれてもかまいませんよ」
「う~ん、特に失敗した記憶はないんですが……」
「大きなことじゃなくてもいいですよ。 小さなことでもいいです」
「いえ、ないと思います」
「そうですか、では質問を変えましょう。 あなたが罪悪感を感じたこと、ごく最近にありませんでしたか?」
「罪悪感ですか?」
「どんな些細なことでもいいですよ。 よく思い出してみてください」
「う~ん、特には……」
「では、この質問ならどうです? あなたが見てはいけないと思うものをいくつかあげて貰えますか?」
「見てはいけないものですか?」
「もしくは、見せたくないものでもいいですよ」
「う~ん、人前でパンツを脱がされるとか、いやですねぇ~ 」
「人前で醜態をみせたくない、ということですね。 他には?」
「う~ん~ そうだなぁ~ あと思いつきません」 とあっさりと言われ残念そうに医者がするので 「申し訳ないです」 と頭を下げる彼だった。
「いえいえ、参考になりましたよ。 また3日分のお薬出しときますんで、それがなくなったら来て下さい」
「あ、あの~ 病名は、なんなんでしょう?」
 心配になり尋ねると医者は、にっこり微笑んでこう言った。
「大丈夫、死にはしません」

 あの医者、きめ台詞かよ! とボヤきながら支払いを済ませ会社へと向かった。
 会社に着いたのは、ちょうどお昼前だった。 課長が彼のデスクに来ると 「あぁ、よかった、昨日と同じようなプレゼンでいい、また午後の3時に頼めるか?」 と聞かれたので 「いいですよ」 と返事をする。
 どうやら課長も自分を認めてくれたみたいで嬉しかった。
 課長が離れると先輩が一緒に昼食わないか、と誘ってきた。 時計を見ると、ちょうど12時―― 「ご馳走様です!」 と答えると先輩が 「まだ食べてもないのにせっかちな奴だなぁ」 と微笑んだ。

 午後3時――
 昨日と同じ資料を持って会議室にむかった。
 プレゼンは順調に進んでいたが、1枚肝心な資料が抜け落ちている。
 あせって言葉に詰まると、お客さんの方から大丈夫か? と声がする。
 会議室のドアが開き誰かが入ってきた、先輩のようだ。 何か言っているようだがモザイクがかかっているためわからない。 内ポケットからメガネを取り出すが慌てて手が滑ってしまい床に落ちてしまった。
 落ちたメガネを拾おうとしたが、また野次が飛んだのでそちらに気をとられ、間違えてメガネを踏み潰してしまった。
「あっ!」 思わず声が出てパニックになってしまう。
 彼は課長に連れ出され、代わりに先輩があとを引き受けた。
 散々、課長に絞られる。
 自信が音を立てて崩れていく、昨日とは、うって変わって最悪の日になってしまった。

 先輩は、得意先に寄って直接帰る、といっていたので話すことが出来なかった。 彼としては、代役をしてくれたお礼と愚痴を聞いてもらいたかったのだが……。
 彼は、一人寂しく帰ることにした。 自己嫌悪―― まったく、自分は駄目な男である。 恥ずかしい、人前で醜態をされしてしまった。 壊れたメガネのレンズより、自分の心がヒビだらけだ。 今日は帰りのコンビニで酒でも買って一人で飲むことにしよう。 

 コンビニでビールを6本とチーズウインナーを買い込み、一人で飲んでいた。 そういえば前にもこんな感じで飲んだような……?
 テレビをつけるとドラマがやっている。 予備のメガネはあるが今は掛ける気がしないかった。 ドラマに出てくる顔という顔には、相変わらずモザイクがかかっている。 そうだ、顔なんて見えなくたっていい、どうせ俺をみんなであざ笑っているのさ、顔なんか見たくない! 見えないほうがセイセイする!
 彼は、一気に酒をあおった。 家にあったウイスキーをビールに混ぜて、一人で飲みながらテレビに散々突っ込んでいた。 近所迷惑もかえりみず、この上なく寂しい気持ちで……
 あまり酒の強いほうではない彼は、記憶が飛び、服のまま眠ってしまうこととなった。

 
 朝、目が覚めると何かがおかしいことに彼は気づいた。
「なっ、なに?」
 目を開けているのに見えない! いや、違う! 見えないじゃない! 見れないんだ!
 彼は自分の手のひらをを開け、必死に自分の目で見ようとした。
 しかし、不規則な碁盤の目のようなモザイクで見えるものが見えないでいた。
 すべてのものにモザイクがかかってしまったのだ!!
「えぇ~~~! どうしよう?」 大声を張り上げる。
 頭を抱え、ない知恵を搾り出す。 そして、あることに気がついた。
「メガネ!! メガネ~~~!!」
 必死に探す 「ない! ない! あーんもう! どこだ? どこ!!」
 必死に部屋を探し回る。 手探りで、ものを払いのけ必死に!
「どこだ? これか? あーちがう! くそ!!」
 あまりに騒がしかったのか、外で 「静かにしろ!」 という怒鳴り声が聞こえてくる。 そんなことに構っていられなかった。
「うるさい! それどころじゃないんだよ!」 頭にきて怒鳴ってやった。
 すべてのものにモザイクがかかっていることで気持ちまでもがイライラとする。 10分以上は探していたがラチがあかない。 体力の限界もある、ここは冷静になってどこに置いたか思い出そう。 肩で息を切りゼェゼェ言っている自分をなだめるため、大きく深呼吸をする。

 ドアがノックされた。 記憶が甦る。 包みをとりレンズをはめた……
 またドアがノックされる。 すぐ使えるようにとキッチンの上……
 名前を呼ばれノックが続く。 キッチンの上、キッチンの上……の窓のレールの上だ!!
 ドアがこじ開けられた。 彼は立ち上がり流しにつかまり、そして思しきところに手をやった。 あった! メガネだ!!
 すぐに掛けて玄関のほうを見る。 警官ふたりとお隣さん、先輩が見えた。
 すべてクリアに見える。 つけていればすべて見えるのだ!
 今の状況はわからないが見える喜びのほうが大きかった。
 しかし、それもつかの間、ふたりの警官の間から白い服の男たちがなだれ込んできた。 彼を捕まえようとする。 拍子でメガネが飛ぶ。
「あー! メガネ! メガネ!」 羽交い絞めにされ連れて行かれそうになる。
 必死に抵抗する。
「なにをするんだ! メガネ! メガネをくれ~~~!」
 意味も解からず、暴れる彼に注射がうたれた。
「なに!? なんで? なんなの!?」
 わけが解からなかったが次第に意識がかすんでいく……

 野次馬が群がる中、担架で運ばれる彼。 
 心配そうに見守る先輩をよそに、救急車のリアゲートは、きつく閉められ  「もうこれでお終いだ」 という音がした。
 リアゲートには、精神病院の文字。
 行き着くところは、閉ざされた世界である。


 最終章につづく